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2009年8月

2009年8月12日 (水)

この辱めをどうしてくれるの

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<p>【岡田有希子についての詳細】</p>
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【岡田有希子についての詳細】


岡田 有希子(おかだ ゆきこ 1967年8月22日 - 1986年4月8日)は、80年代中堅アイドル歌手の一人。

愛称:ユッコ
血液型:O型
身長:155㎝
体重:42㎏
バスト:83㎝
ウエスト:58㎝
ヒップ:84㎝
ジャンル:歌手
所属事務所:サンミュージック
所属レコード会社:キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)
活動時期:1984年 - 1986年
主な作品:楽曲『くちびるNetwork』
      ドラマ『禁じられたマリコ』
受賞:レコード大賞最優秀新人賞



略歴

本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。名古屋市立向陽高等学校→堀越学園高等学校卒業。
1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りする。
1984年4月21日に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本歌謡大賞及び日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。新人賞を吉川晃司と共に全て獲得する。
1986年1月、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がベストワンとなったが、同年4月8日、自宅マンションで手首を切りガス自殺未遂。治療の直後、所属事務所であるサンミュージックが入居しているビルの屋上から飛び降り、全身を強く打って即死した。その後若者の後追い自殺が相次ぎ、衆議院文教委員会で取り上げられる社会問題になった。これにより、5月に発売予定だった『花のイマージュ』は発売中止となった。


生涯(年表)

芸能界入りするまでの生い立ち(1967年8月22日~1983年4月)

・1967年(8月22日~12月)
8月22日正午頃、 愛知県一宮市で佐藤家の次女として誕生。体長47センチ、体重2700グラムという小柄な赤ちゃんであった。
「辺縁性胎盤による異常出産」だったため、医者は「死産」や「知恵未発達」の可能性もあるとしており、母親に「帝王切開」を勧めたが、母親は自然分娩の道を選んだ。その後も親の心配をよそにすくすくと成長していった。
姉の一文字をもらい、「佳代」と名づけられた。
・1969年
2歳で、名古屋市熱田区に引越す。
・1972年
4月 名古屋市立旗屋幼稚園に入園。姉の通っていた『YMCA体操教室』に通い出す(小学校二年生まで続けた)。
天地真理や桜田淳子のものまねをしていた。
・1974年
4月に名古屋市立高蔵小学校に入学する。
・1975年
2年生になり合唱部に入部。その喉を買われてソプラノを担当。高学年になるとさらにリーダー的存在となり、合唱部は地元のテレビ番組やラジオ放送にも出演したりした。
・1977年
4年生になり、絵画教室に通う。
当時はマンガ家志望だった。
・1979年
6年生の時、音楽劇『浦島太郎』で「乙姫」役を演ずる。
・1980年
3月 高蔵小学校を卒業する。
4月 名古屋市立沢上中学校に入学する。一年から油絵を習い始める。この頃から河合奈保子のファンになる。
・1982年
中学2年生の頃、『ホリプロタレントスカウトキャラバン』など様々なオーディションに応募するようになる。ニコンの「フレッシュギャルコンテスト」で準グランプリに選ばれる。
中学2年生の終わり頃、芸能界入りを両親に大反対される。
中学3年生の時に両親より芸能界入りをあきらめさせるために、絶対にクリアできないと思われる条件(学校のテストで成績が学年で1番になること、中部統一テストで5位以内に入ること、第一志望の高校の試験に合格すること)を提示されるが、寸暇を惜しんで猛勉強し、その3つの条件を全て見事クリアしてしまった。本心は芸能界入りさせたくない親から『スター誕生!』のオーディションを受けることを仕方なく許される。(当時、アイドル雑誌『Dunk』に学校での過去の通知表を公開する企画があったが、有希子の成績は5段階評価でほとんどが5であった。)
10月 『スター誕生!』の名古屋地区予選で北原佐和子の『マイボーイフレンド』を歌い「合格」。
・1983年
3月30日 学校を早退してオーディションに出るなら内申書は書けないと担任から釘を刺されていたが、当日、学校を無断欠席して、名古屋から姉の付き添いで東京へ向かい、後楽園ホールで開催されていた『スター誕生!』の決勝大会に出場。中森明菜の『スローモーション』を歌い優勝。第46代チャンピオンとなる。
4月1日 進学校の名古屋市立向陽高等学校に入学する。同級生には東進ハイスクールの講師である河本敏浩がいたが面識があったかどうかは不明。
向陽高等学校でサッカー部のマネージャーを務める。
4月某日 「プロダクション二社とレコード会社二社からの指名があった」との連絡が入る。(サンミュージック、キャニオン、研音、VAP)の四社から指名された)
福田専務のスカウトで、プロダクションのサンミュージックに入ることを決め(同じ『スター誕生!』出身の桜田淳子が長く所属しているなどの理由で、家族はサンミュージックを選ぶことにしたという)、レコード会社はキャニオンに決めた。

芸能界入りしてから芸能活動を開始するまでの出来事(1983年5月~1983年9月)

5月15日 サンミュージックとの正式契約のため、母と上京。相澤秀禎社長(現在は会長)のリクエストに答え、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』と松田聖子の『秘密の花園』を歌う。
7月 一学期の終業式の日に、クラス全員で送別会をしてもらう。お別れに『セーラー服と機関銃』を唄う。
8月25日 両親と姉と高校の仲間たちに見送られ、新幹線で東京へ旅立つ。
8月27日 ダンスのレッスン始まる。
8月、芸能界にデビューするために実家がある名古屋から東京の成城にあるプロダクションの 相澤社長宅に引越する。二階の寮の同室には同年3月にデビューした桑田靖子とデビュー前の滝里美がいた。(参考文献『岡田有希子はなぜ死んだか』上之郷利昭・著 新森書房 1986年)
9月1日  堀越高等学校に転校。芸能コースD組で学ぶ。クラスメイトには「本田美奈子」、「南野陽子」、「長山洋子」、「倉沢淳美」、「高部知子」、「桑田靖子」、「石野陽子」、「宮崎ますみ」、「永瀬正敏」などがいた。
9月にレッスン開始。

芸能活動を開始してから歌手デビューするまでの出来事(1983年10月~1984年4月)

10月10日 「POPEYE」に登場。(芸能活動開始)
10月16日 ニッポン放送のラジオ番組『とびだせ!ポップシティ』(7:10より生放送)、毎日放送のラジオ番組『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』でレギュラーDJを務める。
10月20日 現場マネージャー福田万里子に初めて会う
10月23日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」10月30日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」11月6日  ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」11月13日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
11月18日 東大の駒場祭に出演。
11月20日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
11月22日 テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』初出演。(ミニドラマでお茶くみ娘の役)
11月27日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
12月3日  生まれて初めてのボーリングで107点。
12月10日 初めてのレコーディング
12月18日 テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』テレビに初めて登場。
12月20日 レコーディング
12月25日 名古屋取材
・1984年(1月~4月)
1月1日  ニッポン放送『とびだせ!ポップシティ』鎌倉の材木座海岸
1月8日  ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
1月9日  初めて雑誌の取材
1月10日 「スコラ」取材
1月11日 「近代映画」と「平凡」に挨拶に行く。林真理子に会う。
1月12日 毎日放送
1月13日 レッスン。ヘアカタログ。
1月14日 「中3コース」取材
1月24日 テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』(ミニドラマ)
2月9日  文化放送『100万人の英語』
2月10日 毎日放送
2月12日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
2月13日 「デラマガ」取材
2月14日 挨拶回り
2月16日 24日までハワイで「グリコ・カフェゼリー」のCF撮り。3月中旬からオンエアされた。
2月26日 ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」
2月27日 取材
2月28日 3月3日まで学校(期末試験)
3月4日  ニッポン放送「飛び出せ!ポップシティー」
3月5日  レッスン
3月6日  取材
3月7日  取材
3月8日  「スコラ」取材
3月9日  毎日放送「何かいいことないか仔猫ちゃん」(最終回)
3月10日 「キャパ」取材
3月11日 ニッポン放送「飛び出せ!ポップシティー」お菓子フェア(神宮絵画館前)初舞台(初めて人前で歌う)
3月12日 取材。CMとスポットのアフレコ。
3月13日 東海ラジオ。テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」
3月14日 RF:公開録音(ドリームランド)
3月15日 TBS『ザ・ヒットステージ』、取材
3月16日 ビデオ録り。取材。ニッポン放送「とびだせ!ポップシティ」がんばれ有希子(最終回)銀河スタジオ
3月17日 取材
3月18日 ニッポン放送「飛び出せ!ポップシティー」
3月19日 名古屋プリンセスガーデンホテル「集まれYukikoフレンズ」(ティーパーティー)
3月20日 名古屋プリンセスガーデンホテル「集まれYukikoフレンズ」(ティーパーティー)
3月21日 RF:曽根幸明の歌謡娯楽坂 LF:ビギンザビギン 東海ラジオ「奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ!」(第一回目の収録)
3月22日 RF:お昼のハッピースタジオ
3月23日 取材
3月24日 LF:モアモア歌謡曲
3月25日 TBS『ザ・ヒットステージ』(最終回)において初めてテレビでファーストデイトを歌う。 TV初出演(OA) LF:とびだせポップシティー
3月26日 大阪東急ホテル「集まれYukikoフレンズ」
3月27日 大阪東急ホテル「集まれYukikoフレンズ」
3月28日 ホテル仙台プラザ「集まれYukikoフレンズ」
3月29日 札幌全日空ホテル「集まれYukikoフレンズ」
3月30日 札幌全日空ホテル「集まれYukikoフレンズ」
4月1日  四谷警察署1日署長を務める予定だったが雨で中止。
4月2日  福岡全日空ホテル「集まれYukikoフレンズ」
4月4日  広島シティホテル「集まれYukikoフレンズ」
4月8日  赤坂プリンスホテル「集まれYukikoフレンズ」
4月9日  RF:朝からどんと歌謡曲
4月10日 テレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」
4月13日 同行取材ツアーという事務所の企画で、スポーツ新聞の芸能担当記者たちとサイパンへ行く。
4月14日 「アイドルパンチ」出演

歌手デビュー以降(1984年4月~1986年4月)

4月21日  キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)から『ファースト・デイト』で歌手デビュー。
フジテレビ「テレビ・グラフィティ」に出演。銀座山野楽器店頭でデビュー・キャンペーン(握手会)。キャニオンレコード宣伝部へ挨拶回り。赤坂のレコード店で自分のレコードを1枚購入。TBSラジオ「所ジョージホロホロ天国」出演。
(レコーディングには作曲者の竹内まりやが激励に現れた)10万6千枚を売り上げ、まずまずのヒットとなる。
その後竹内まりやと尾崎亜美がシングル曲をプロデュースした。
4月29日 豊橋名豊ミュージック(握手会)、名古屋テルミナ屋上(握手会)
5月2日  熊本鶴屋百貨店(握手会)
5月4日  福岡ベスト電器屋上(握手会)
5月5日  広島そごう屋上(握手会)
5月6日  池袋西武デパート(握手会)
5月12日 仙台(握手会)
5月13日 ダイエー京橋店屋上(握手会)、西武百貨店高槻店(握手会)
5月20日 札幌五番館(握手会)
5月27日 東大五月祭ゲスト出演
5月31日 ザ・ベストテンに菊池桃子と共に出演。
6月9日  TBSラジオ「所ジョージのホロホロ天国」
6月10日 RF:歌のメリーゴーランド
6月11日 東海ラジオ「ドキドキラジオ」
6月12日 日本テレビ「宝くじ特番」神戸
6月15日 日本テレビ「お昼のワイドショー」
6月16日 「有希子のリトルランド」
6月19日 アイドルパンチ
6月20日 TBSラジオ「有希子のファーストデイト」
6月22日 TBSラジオ「有希子のファーストデイト」
6月26日 「有希子のリトルランド」
6月28日 日本テレビ「カックラキン大放送!!」
6月29日 メガロポリス音楽祭(テレビ東京)予選
7月2日  「有希子のリトルランド」
7月6日  メガロポリス音楽祭(テレビ東京)最優秀新人ダイヤモンド賞受賞。
7月16日 「有希子のリトルランド」
7月18日 デビュー曲から3か月で第2弾シングル『リトルプリンセス』をリリース。9万4千枚を記録。
7月22日 「有希子のリトルランド」
7月25日 大阪阪急百貨店屋上(握手会)
7月27日 仙台エンドー(握手会)
7月29日 よみうりランド(FC結成式イベント)
7月31日 福岡天神コア屋上(握手会)
8月1日  ファンの集い
8月2日  「有希子のリトルランド」
8月6日  浜松遠鉄名店ビル屋上(握手会)、名古屋テルミナ屋上(握手会)
8月8日  キャンペーン金沢。金沢名鉄丸越屋上(握手会)、富山西武屋上(握手会)
8月9日  キャンペーン
8月10日 キャンペーン
8月11日 ダイエー岡山店屋上(握手会)、広島ダイイチサテライトスタジオ(握手会)
8月12日 「有希子のリトルランド」
8月13日 札幌そごう屋上(握手会)
8月14日 テレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」
8月15日 福井放送「まんてんワイド」
8月16日 富山県、金沢キャンペーン。
8月17日 東北放送「夏祭り」
8月18日 TBS「8時だヨ!全員集合」
8月20日 NHK「レッツゴーヤング」
8月22日 17歳の誕生パーティー。(東大・早大など100人近い大学生が祝福)
8月23日 日本テレビ音楽祭新人賞受賞
8月24日 「有希子のリトルランド」
8月27日 TBS「街角テレビ」
8月30日 大阪千里セルシー広場(握手会)
9月1日  NHK「あなたのメロディー」
9月5日  LP『シンデレラ』発売。
9月6日  日本武道館で第10回日本テレビ音楽祭新人賞。「有希子のリトルランド」
9月9日  アイドルパンチ出演
9月19日 「有希子のリトルランド」
9月21日 第三弾の『恋はじめまして』をリリース。12万9千枚を記録。
9月24日 大阪厚生年金会館中ホール「恋はじめまして」(コンサート)
9月29日 「有希子のリトルランド」
9月30日 日本青年館「恋はじめまして」ファーストコンサートを行う。
10月8日 ニッポン放送「ちょっとおあずけ」DJ開始
10月8日 銀座音楽祭グランプリ受賞受賞
10月12日 新宿音楽祭金賞受賞
10月14日 「DoUp歌謡」出演
10月15日 日本テレビ「ザ・トップテン」に初出演
10月17日 横浜音楽祭新人特別賞受賞
10月18日 TBS「ザ・ベストテン」に出演 10位:恋はじめまして(初登場)
10月25日 TBS「ザ・ベストテン」10位:恋はじめまして(2週目)
10月29日 ヤング歌謡大賞新人グランプリ受賞
10月30日 全日本歌謡音楽祭最優秀新人賞受賞
11月2日  産業能率大学学園祭
11月3日  名古屋球場での中日ドラゴンズの祭り。
11月4日  上武大学学園祭
11月5日  早稲田大学学園祭
11月14日 東京ディズニーランドへ行く。
11月20日 日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞受賞
11月24日 名古屋へ帰省(デビューして初めてのOFF)
11月25日 埼玉・東武動物公園イベント屋外ステージ(12:30~、14:30~)
11月28日 LP『贈り物』発売。
12月4日  FNS歌謡祭優秀新人賞
12月18日 FNS歌謡祭
12月24日 東京・朝日生命ホールでファンの集い「ガンバレ!YUKIKO X'mas」
12月31日 「日本レコード大賞」で「最優秀新人賞」を受賞。
当時は、1980年デビュー組の松田聖子・田原俊彦・河合奈保子・岩崎良美・柏原芳恵、翌1981年デビューの近藤真彦、さらに「花の82年組」と呼ばれた中森明菜・小泉今日子・シブがき隊・堀ちえみ・早見優・松本伊代・石川秀美等の人気アイドル達が第一線で活躍していて、また同期には菊池桃子・吉川晃司・荻野目洋子・長山洋子などが登場していたため、有希子がデビューしたこの当時はアイドルの激戦期であった。活発なイメージのある女性アイドルが多かった中で、有希子は控えめで優等生のイメージがあった。この年にいくつかの音楽最優秀新人賞を獲ったが、1985年の終わりまでは大きなヒットには恵まれなかった。理由もまた前者達(松田聖子・堀ちえみ・早見優・石川秀美など)を意識してしまったせいか、有希子の個性キャラが生み出せず地味な歌であった。しかし、新人賞レースにおいては、最有力候補であり明らかに有希子より人気の上回っていた菊池桃子がすべての賞を辞退し、同じく最有力候補であり明らかに実力・人気とも有希子を大きく上回っていた吉川晃司も選ばれず、所属事務所等の働きかけもあり結果として有希子がFNS歌謡祭の最優秀新人賞に選ばれた。有希子は会場内にいた納得の行かない女性の吉川晃司ファン達からバッシングを受けた。
・1985年
1月1日  「オールスターお年玉争奪大合戦」放送。CF撮りハワイ(東芝、TBS)
1月2日  東芝「Let's Chat」CF撮り(朝)。グアムでTBS「レコード10社対抗オールスター大運動会」出場。
1月3日  カピオラニ公園で東芝「U-30」CF撮り。TBS「新春オールスター水上大運動会」出場。ドキドキラジオお正月特番。
1月6日  笑福亭鶴光のオールナイトニッポン・サンスペ ゲスト出演
1月12日 映画を2本観る。
1月14日 六本木アートセンター別館で宇宙服を着て「郵政省・電子郵便」のCF撮り。
1月16日 第四弾シングル『二人だけのセレモニー』をリリース。これまで最高の14万5千枚を記録。
1月19日 朝日サウンドスタジオで「郵政省・電子郵便」CFのアテレコ。
1月20日 札幌市民会館「フライトラブYukiko」(握手会・ミニコンサート)。「ドキドキラジオ」(東海ラジオ)に森田健作がゲスト出演。
1月26日 福岡市民会館小ホール「フライトラブYukiko」
1月27日 広島東区民会館「フライトラブYukiko」
1月29日 雪の祭典。
1月30日 雪の祭典。
2月4日  7日まで陸上&水上運動会でグアムへ。
2月9日  仙台TBCホール「フライトラブYukiko」
2月10日 東京後楽園ホール「フライトラブYukiko」
2月13日 東映大泉撮影所で「東芝・科学万博東芝館告知」のCF撮り。
2月15日 NHK「真田太平記」記者会見。(於菊の衣装で)
2月16日 六本木アートセンターメインスタジオで「月星ベンチャーΣ」広告のスチール撮り。東芝「U-30」CFオンエア。
2月17日 大阪厚生年金会館中ホール「フライトラブYukiko」
2月23日 愛知厚生年金会館「フライトラブYukiko」
2月24日 コンサート・リハーサル
2月25日 取材日
2月26日 テレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」
2月27日 テレビ朝日「ゴールデンアロー賞」
2月28日 「月星ベンチャーΣ」テレビ用CF撮り、日本テレビ「所ジョージのモノMONOウォーズ」
3月1日  テレビ東京「レッツGOアイドル」
3月2日  TBSラジオ「ヤングタウンTOKYO」
3月3日  コンサート・リハーサル
3月4日  コンサート・リハーサル  
3月5日  「ぴったしカンカン」放送
3月6日  取材日
3月7日  取材日
3月8日  取材日
3月9日  ニッポン放送・特番
3月11日 CBC(中部日本放送)「エキサイトボウリング」出演
3月12日 コンサート・リハーサル
3月13日 コンサート・リハーサル
3月14日 コンサート・リハーサル
3月15日 コンサート・リハーサル
3月16日 RKB毎日放送
3月17日 山陰放送
3月18日 取材日
3月19日 テレビ朝日「アイドルパンチ」
3月20日 取材日
3月21日 LP『FAIRY』発売、取材日
3月22日 TBS「街角テレビ」出演
3月23日 CF撮影
3月25日 札幌市民会館「ハートにキッス」(スプリングコンサート)
3月26日 苫小牧市民会館「ハートにキッス」
3月28日 仙台市民会館「ハートにキッス」
3月29日 秋田県民会館「ハートにキッス」
3月30日 TBS「8時だヨ!全員集合」出演
4月1日  NHK「レッツゴーヤング」出演
4月2日  東京郵便貯金会館「ハートにキッス」
4月3日  愛知厚生年金会館「ハートにキッス」
4月4日  大阪厚生年金会館「ハートにキッス」
4月5日  福岡郵便貯金会館「ハートにキッス」
4月13日 東海ラジオの『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』でレギュラーDJを務める。(0:30~1:00)
4月17日 第五弾シングル『Summer Beach』をリリース。12万1千枚を記録。
5月4日  テレビ朝日「いちごチャンネル」出演。
5月5日  よみうりランドEAST(コンサート)
5月6日  大宮市民会館「ハートにキッス」
5月7日  フジテレビ「月曜ドラマランド」単発主演ドラマ『かぐや姫・とんで初体験!?』撮影開始。
5月9日 「ザ・ベストテン」7位:Summer Beach(1週目)
5月16日 「ザ・ベストテン」8位:Summer Beach(2週目)
5月19日 京都会館「ハートにキッス」「歌謡ドッキリ大放送」放送
5月23日 「ザ・ベストテン」10位:Summer Beach(3週目)第379回ベストテン
5月24日 郡山文化センター「ハートにキッス」
5月25日 沼津市民文化センター「ハートにキッス」
5月26日 磐田市民文化会館「ハートにキッス」
6月5日  修学旅行(北海道)
6月6日  修学旅行(北海道)
6月7日  修学旅行(北海道)
6月8日  2週間近くスイス旅行(ビデオ撮り)
6月24日 松田聖子・神田正輝の結婚式に参列。(後にインタビューで「花束を贈呈するときに涙を流した」と本人がコメント)
7月1日  フジテレビ「月曜ドラマランド」『かぐや姫・とんで初体験』放映。
7月2日  NHK時代劇『真田太平記』撮影スタート。
7月5日  第4回メガロポリス歌謡祭
7月17日 『哀しい予感』をリリース。
7月25日 新宮市民会館「ファンタジアン」(コンサート)
7月26日 紀伊田辺市紀南文化センター「ファンタジアン」
7月27日 愛知厚生年金会館「ファンタジアン」
8月1日  「ザ・ベストテン」9位:哀しい予感(1週目)
8月5日  鹿児島市民文化ホール「ファンタジアン」
8月6日  熊本県立劇場「ファンタジアン」
8月7日  都城市民会館「ファンタジアン」
8月8日  福岡サンパレス「ファンタジアン」「ザ・ベストテン」8位:哀しい予感(2週目)
8月10日 金沢市観光会館「ファンタジアン」
8月12日 大阪厚生年金会館「ファンタジアン」
8月14日 秋田県民会館「ファンタジアン」
8月15日 岩手県遠野市民体育館「ファンタジアン」
8月17日 水戸市民会館「ファンタジアン」
8月22日 18歳の誕生日。
8月25日 東京厚生年金会館「ファンタジアン」
8月26日 徳島市文化センター「ファンタジアン」
8月27日 松山市民会館「ファンタジアン」
8月28日 広島郵便貯金会館「ファンタジアン」
8月29日 日本テレビ音楽祭金の鳩賞受賞
8月31日 東京・池袋のメトロポリタンホテルで誕生パーティーが催される。500人を超えるマスコミ、音楽関係者が集まる。
9月7日  東京郵便貯金会館「ファンタジアン」
9月14日 伊勢崎市文化会館「ファンタジアン」
9月16日 甲府市文化ホール「ファンタジアン」
9月17日 テレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」ドラマ「禁じられたマリコ」
9月18日 LP『十月の人魚』発売。
9月19日 『禁じられたマリコ』世田谷芦花公園で屋外ロケ。撮影開始。
9月21日 小倉厚生年金会館「ファンタジアン」
9月23日 防府公会堂「ファンタジアン」
9月25日 TBSドラマ『禁じられたマリコ』撮影・顔合わせ。(峰岸徹と出会う)
9月29日 千葉県文化会館「ファンタジアン」
10月5日 『LoveFair』をリリース。
10月21日 『禁じられたマリコ』撮影。
10月22日 レコーディング。
10月23日 『禁じられたマリコ』撮影。
10月24日 『禁じられたマリコ』撮影。
10月25日 『禁じられたマリコ』撮影。
10月26日 東松山市民会館「ファンタジアン」
10月27日 東武動物公園イベント
11月   ニッポン放送『夜遊びしナイト』DJ
11月1日  青山学院大学学園祭
11月2日  長野市民会館コンサート
11月4日  常磐ハワイアンセンター公演
11月5日  TBSドラマ『禁じられたマリコ』(主演)放送開始
11月29日 12月2日まで過労で入院。
12月3日  FNS歌謡祭ノミネート。
12月4日  レコーディング。(坂本龍一、松田聖子に会う)
12月5日  LP『贈り物2』発売。レコーディング。
12月17日 FNS歌謡祭(本選)優秀歌謡音楽賞受賞。
12月22日 「スーパージョッキー」放送。(Love Fairを歌いながら一人で笑い出す)
・1986年(1月~3月)
1月1日  10日まで香港~マカオ。
1月2日   「オールスター初夢競べ大合戦」放送。
1月8日  この日から1月28日にわたってアルバム『ヴィーナス誕生』のボーカル撮り。
1月15日  長島スパーランド公演
1月18日  鳥取(コンサート)
1月19日  米子(コンサート)
1月20日  六本木アートセンター(ジャケット撮り『禁じられたマリコ』『ヴィーナス誕生』)
1月21日  日本テレビ「カックラキン大放送」のVTR撮り。
1月28日  ラジオのテレフォン・インタビュー。
1月29日  カネボウ化粧品の春のカネボウのキャンペーンソング『くちびるNetwork』をリリース。作詞が松田聖子、作曲・編曲が坂本龍一ということでも話題となり、有希子にとって最も大ヒットの23万枚(オリコン調べ)を記録する。チャート誌でも有希子としては初の1位も記録する。
2月8日  沖縄市民会館(コンサート)。フジテレビ「TVグラフィティ」放送。
2月9日  那覇市民会館(コンサート)
2月10日  『くちびるNetwork』ヒット・チャート誌に第1位で初登場。
2月11日  東京後楽園ホール「くちびるときめきネットワーク」(握手会)
2月13日  「ザ・ベストテン」4位:くちびるNetwork(1週目)「くちびるNetwork」初登場
2月14日  「カックラキン大放送」出演
2月15日  「レッツGOアイドル!」出演
2月16日  大阪近鉄劇場「くちびるときめきネットワーク」(握手会)
2月20日  TBS「ザ・ベストテン」5位:くちびるNetwork(2週目)
2月23日  札幌共済ホール「くちびるときめきネットワーク」(握手会)
2月24日  日本テレビ「ザ・トップテン」出演
2月27日  TBS「ザ・ベストテン」6位:くちびるNetwork(3週目)
3月1日   愛知厚生年金会館「くちびるときめきネットワーク」(握手会)
3月2日  福岡明治生命ホール「くちびるときめきネットワーク」(握手会)
3月3日  堀越高等学校卒業式(中野サンプラザ)。日本テレビ「ザ・トップテン」出演。
3月6日  TBS「ザ・ベストテン」5位:くちびるNetwork(4週目)
3月13日  TBS「ザ・ベストテン」6位:くちびるNetwork(5週目)
3月20日  堀越学園から特別に卒業証書を渡される。
3月21日  LP『ヴィーナス誕生』発売。この日、個人的に峰岸徹と会う。(密会という噂も)
3月25日  サンミュージックで高校卒業を祝うパーテイ―が開かれる。桑田靖子、酒井法子らが参加。
3月30日  長野県民文化会館(コンサート)

自殺する1週間前以内での出来事(1986年4月1日~4月7日)

4月1日
コンサートリハーサル。
4月2日
「HEART JACK」コンサートに向けてのレッスン中でのインタビューを受ける。「春ですし、みんなで楽しい気分になれたらいいなと思います」と意気込みを語る。
4月3日
ゲネプロ(本番通りの衣裳や進行でのリハーサル)。
大体この辺りの日にちに、友人であり当時アイドル歌手であった南野陽子と一緒に都内某所で映画『女優フランシス』(82年・米)を鑑賞するが、正確な日にちは定かではない。(情報源は『100万人が選ぶアイドルポップス 2002年』宝島社)
4月4日
「自分の城が欲しい」という本人の希望で、デビュー当時から住んでいた成城の相澤社長宅から南青山のマンションの一室(2DK)に引越し、一人暮らしを始める。
プロダクション社内で、歌と振り付けのレッスンをする(この模様が自殺後にテレビ放映される)。
結果的に最後の番組収録となったテレビ朝日の『歌謡ドッキリ大放送』(司会者は関口宏)の収録で『くちびるNetwork』を歌う。(この番組は自殺後の4月13日に放送され、歌の後に訃報を伝えるテロップが出た)。
4月5日
この日に渋谷公会堂での昼夜二回(15:00~と18:00~)の『スプリングコンサート・Heart Jack』を行う。超満員の中、20曲を熱唱する。この内の17曲は自分の歌を歌い、後の3曲はビートルズの『Tell Me Why』、杏里の『悲しみがとまらない』、早見優の『PASSION』をカバーした。
コンサート終了後、相澤社長宅に引っ越しのあいさつに行く。
扶桑社『ブックオブ・ヴィーナス誕生』(書籍)発売。
4月6日
14時30分開始の名古屋市民会館でのコンサート『Heart Jack』のために新幹線で東京から名古屋へ向かう。同じ車両に、当時は無名であり落語家修行時代の伊集院光が師匠の付き人として乗っており、共に有希子と会っていたと言う。(伊集院は「有希子さんの曲は今もラジオでは軽々と流せない雰囲気があるし、たやすく聴くことが出来ない。」と語った。)
コンサート終了後、『国際ホテル』のロビーで高校時代の友人やクラブの先輩たち五人と会食。東京へ帰る前に名古屋にある実家に立ち寄る。これが家族との人生最後の対面となる。父親にマイカーで名古屋駅まで送ってもらい、20時53分の名古屋発新幹線で東京へ戻る。
4月7日
スケジュールが「OFF」のこの日の19時に渋谷の東急文化会館内にあった「渋谷パンテオン」(2004年に建物自体を取り壊され、現在は存在しない。)での『ロッキー4』の試写会に以前ドラマで共演した某女優と共に出席。この試写会がマスコミ前での人生最後の姿となる(翌日命を絶った時の服装はこの時のままであった)。この日、趣味でよく絵を書いている人物が女優に頼まれて書いた似顔絵を渡しに来ている時に有希子が「私も書いて欲しい」と頼み、「写真を持って来てくれれば書きますよ」と言われたが、結局写真は渡さずじまいで有希子の似顔絵は書かれなかった。その後スタッフ一同で銀座のケーキ屋に寄るが混んでいて席が空いていなく、22時ごろ自宅マンションへ帰宅。溝口チーフマネージャーから電話で、翌日から収録開始予定だった主演ドラマ『家出令嬢の課外授業』(テレビ朝日)の収録が局側の都合で中止になったと知らされる。これにより翌8日も急遽OFFとなった。
「松田聖子・妊娠4ヶ月報道」もこの日となる。

自殺直前の出来事(~1986年4月8日12時15分頃)

4月8日 午前5時20分頃、成城でタクシーを拾い、東京駅を目前にした東京都庁(現在は東京国際フォーラム)わきの工事現場前で降りる。
早朝、南青山にある自宅マンションの室内でガス自殺に加えリストカットによる自殺を図る。マンションの住人がガス臭に気づき、管理人が有希子の部屋を訪ね、声をかけるが、反応がないため、警視庁指令センターに110番通報し、同センターより東京消防庁災害救急情報センターに連絡、これを受けて赤坂消防署の消防隊と救急隊が急行した。有希子は押し入れの下段でうずくまり、シクシク泣いていた。このガス自殺は未遂に終わったものの、救急車で港区の北青山病院に搬送され左手首を4針縫う等治療を受けた。所属事務所の福田時雄専務と、女性付き人の山崎結美が病院へ駆けつけたが、有希子は一言も話さず、激しく泣き続けていた。チーフマネージャー溝口伸郎は子供が入学式だったため休暇で、相澤社長は事務所近所の歯科にて歯の治療を受けていたため、病院に駆けつける事が出来なかった。担当医師が、ガス中毒反応も、後遺症もないため、入院の必要なしとしたため、所属事務所へ向かう。タクシー車内では運転手も居た事などから3人とも終始無言、有希子はすすり泣きを続けていた。12時頃にサンミュージック本社がある東京四谷の「大木戸ビル」に到着、3人は6階の社長室へ。「自殺」のことについては何も触れずにいた。福田専務自身の証言(言い分?)によると『「まあ、いろいろ人生あるから、皆がついているんだから頑張ってやれよ。」と励ましたら、うなづいた。』という。(福田専務に烈火のごとく激しく怒鳴られていたという説もある)そこに事務所へ急行途中の溝口チーフマネ(相澤社長からだった説も)から電話が入ったため福田専務が隣室に移り、有希子と山崎の二人きりとなった。有希子は山崎に「ちょっとティッシュを・・・」と言ったので、山崎がティッシュを探すために有希子から目を離したわずかの隙に部屋を飛び出し、ビル内の階段で7階の上の屋上へ上がり、12時15~20分頃に飛び降り自殺を図る。享年18。


死後の出来事

自殺直後の出来事(1986年4月8日の12時15分頃以降)

遺体は警察の手で12時40分、四谷警察署に運ばれた。某書籍の文献には『「検視の結果、自殺と確認された為、司法解剖は行われなかった。」とされている。』と記されていた。(検視の後、誰もいない時に鑑識の一人から遺体に性的悪戯をされたとも言われている。)
午後1時30分、「大木戸ビル」六階の会議室で相澤秀禎社長、福田時雄専務、溝口伸郎マネージャーの三人が記者会見。
午後8時8分、名古屋から駆けつけた両親が四谷警察署で彼女の遺体に対面する。
午後8時41分、遺体とともに関係者は四谷霊廟に移動。この場所で、彼女の仮通夜が行われた。
午後10時20分、彼女の自殺との関連をとりざたされた俳優の峰岸徹がTBS別館にて記者会見。

葬儀での出来事

有希子が自殺した翌日の4月9日夜、所属事務所の近くにある新宿区四谷の大宗寺での通夜が営まれた。(この日に密葬・火葬されたという説も)告別式は4月10日に堀越高校近くにある中野区の宝仙寺で社葬として行われた。告別式が終わった後、遺体は新宿区の落合斎場で荼毘に付された。その翌日4月11日、遺骨は故郷の名古屋に戻り、名古屋市中区の東本願寺名古屋別院でも告別式が行われた。東京での告別式は、所属プロダクション社長、相澤秀禎が、「お金はいくらかかってもいい」と言った程の盛大なものであった。葬儀には、遺族をはじめ、所属プロダクション相澤秀禎社長、プロダクションの大先輩である森田健作、桜田淳子、その他芸能関係者や『ザ・ベストテン』で共演した黒柳徹子、中森明菜、竹内まりやに加え、プライベートでも親しかった南野陽子に荻野目洋子、さらに吉川晃司と舘ひろしらが参列した。このとき、吉川と舘はサングラスを掛けたまま参列したため、ダン池田は著書『これでいいのか芸能界』の中で、2人がサングラスを掛けていた事を批判した。

自殺の原因とされてきたこと

岡田有希子の自殺原因については複数存在するが、いずれも噂であり正確な原因は現在も不明である。(遺族は世間が彼女の死の原因を追究することを非常に迷惑がっているので慎むべきである)


遺書めいた物に名前が記されていたとされる俳優、峰岸徹に失恋説。(最も一般的な説)
この件について自殺当日夜、仕事先のTBS別館にて峰岸が記者に囲まれ急遽会見。「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。
報道陣から、“愛されているという事に対して男として責任はお持ちでしたか?”との問いに「もしそういうこと(有希子が峰岸に対して愛情があった)だったとしたら責任は有ると思います」と神妙な面持ちでコメントしたが、それ以上の詳しいことは現在に至るまで明確には答えていない。1984年に離婚し、当時は独身であったが、この年四月に結婚予定の婚約者がいたとされる。
2005年に相澤秀禎元社長(現在は会長)が、1986年4月7日深夜から4月8日夜明け頃、成城でタクシーを拾った有希子の行動の一部を『日刊ゲンダイ』にてコメント。成城にある“その男性”の自宅の玄関前に立って夜明けまで過ごしていたとしている。
「自殺の直後、警察に保管されていた有希子さんの遺書が両親に手渡されたのは、4月9日。食い入るようにその遺書を読んでいた父・○○さんは、“峰岸”の名に目をとどめ、自殺の真相を知るや、こみあげる怒りを抑えきれぬかのように、その手が小きざみにふるえていたという。」「遺書には峰岸徹との交際がただの憧れをはるかに超えた“親密”なものであったことが、ハッキリと読み取れたという。」(『女性自身61年4月29日号』より抜粋)
芸能レポーターの梨元勝氏や警察関係者の証言でも、遺書には『峰岸さんにふられた。愛の生活に疲れました。』『峰岸さんは最近会ってくれない。好きか嫌いかはっきりしない。思わせぶりで冷たい人。』『もう一度お会いしたかった・・・勝手なことをしてごめんなさい。』『峰岸さん、結婚してくれるって言ったじゃない。うそつき』としっかり個人名が書かれていたという。


神田正輝説。
俳優の神田正輝と恋仲であると一部で噂された説である。
この説はまず事件の直後に流れ、その後2ヶ月近く経って芸能界マスコミ界に再び怪文書として流れ出し、当時の週刊誌などでも一部報道として取り上げられており、当時中堅俳優に過ぎなかった峰岸が神田の身代わりになったとも言われた。(参考文献『フライデー61年7月8日増刊号』)


舘ひろし説。
彼も有希子との仲を週刊誌に取り上げられた一人。
「聞いた話では舘ひろしと付き合っていたようですよ。舘のオートバイ仲間では有名な話で、彼のオートバイの後ろに彼女が乗っているのを見たって人もいるくらいです。」(『微笑』『フライデー61年7月8日増刊号』より抜粋)


萩原光説。
前日の4月7日にサーキットで事故死したレーシングドライバー・萩原光の後を追ったとされる説である。二人の間に面識があったかどうかは不明。(参考文献『報知新聞』『フライデー61年7月8日増刊号』『プレイボーイ61年4月29日号』)


複数交際説。
「彼女は峰岸徹だけではなく、Nをはじめ5人の大人、それも中年と付き合っていたってことです。全員、芸能界の人間それも同じタレントや俳優らしい。同年輩の芸能人の男との噂は全くないんです。ワルくいえば“ファザコン”だけど、きっと身近に頼れる男が欲しかったんじゃないかな。去年の暮れに彼女は『Nさんにからかわれた』と凄く怒っていましたよ。今年に入ると、そのことに関連して『人間が信じられなくなった』と洩らしていましたね。」(『週刊プレイボーイ61年4月29日号』より抜粋)


以上のいずれかの男性の子を妊娠していたという説。「彼女は当時、妊娠3ヶ月だった。」(『週刊アサヒ芸能61年4月25日号』)
しかし遺稿集『愛をください』(朝日出版社 1988年)において有希子の母が、有希子が自殺する10日程前に生理用品を買っていたのを確認したと語り、妊娠説を否定。


有希子の自殺の10日前に、『スケバン刑事』で女優としても活動し、1986年5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった、ヒラタオフィス所属の遠藤康子(当時17歳)が東京都台東区のビルから投身自殺したことに影響された説。(遠藤が所属プロダクションから、付き合っていた男性との交際を止めるように言われたとの説がある(当時の『週刊平凡』に男性のインタビュー記事あり)。訃報を聞いた有希子は胸を痛めていたという。自殺後のプロダクションの記者会見で、遠藤の事件の影響があったかとの記者の質問に、福田専務は「立場が違うと思いますね」と関連性を否定した。


枕営業説。
ファンにとっては一番辛い説であるが、彼女はある芸能関係者に“進呈”されていたという。つまり彼女は業界で言う“抱かせ”とやらの犠牲になっていたという情報である。
「都内のあるホテルで彼女はオモチャにされたっていう話だ。それも1回や2回じゃないってことですよ。それを知ったある人間が彼女をとがめたらしいんですが、その時彼女は『私もわりきっているんです・・・』って。その顔に言葉とは裏腹に、自分を責めるような暗い表情が浮かんでいたそうです。それから、表向きは社長の家に居候していたことになっていますが、ホントかどうか自分で確かめたわけではないですからハッキリとはしないものの、実際はその芸能関係者が与えた都内某所のマンションにいることが多かったという話もあるんですよ。」(『週刊プレイボーイ61年4月29日号』より抜粋)

遺書

現在もサンミュージック本社内の金庫の中に保管されている。内容は所属していたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長と、ごく近い血縁関係の遺族と、警察関係者しか見ていないと言われ、遺書の中には自殺のきっかけとなったといわれるMの名前が書かれていると言う説がある。

有希子の表情の変化・兆候

事務所スタッフら、身近にいた人間の多くは「特に変わった様子は無かった」と発言。前日夜に電話で会話した溝口マネージャーも「声は明るかった」。2日前に会った家族達は「後から考えてみると…」と思う程度の変化しか表面上には出ていなかった。
しかし改めて有希子の出演していたテレビの録画をよく観察して見ると分かることだが、1985年最後のシングルだった『LoveFair』を歌っているテレビ出演時までと違い、1986年1月以降『くちびるNetwork』を歌っているテレビ出演時になると、有希子本人がデビュー時から出たいと発言していた『ザ・ベストテン』への出演時ですら、歌っている時の目のまばたきが異様に少なく、表情が動かなく眼差しも暗いなど、それまでの自然な明るい表情から比較すると異変が現れていることが確認される。
修学旅行・スイス旅行・聖輝挙式の頃には既に異変があったようで、「デビュー当時の期待に満ちた輝いた笑顔」がいつの間にか徐々に消えていき、「淋しい作り笑顔」の方が増えていった。有希子の笑顔は芸能活動の前半と後半では明らかに違う。

自殺後の世間の騒動

・イジメによる青少年の連鎖的な自殺が問題になり出した頃に起こった事件でもあるが、彼女の自殺の直後に後追い自殺とみられる連鎖反応が急増した為、国内年間の自殺者数が前年度よりも急上昇、「ユッコシンドローム」と称され、(この1986年の1月から3月までの少年・少女の自殺者は過去2年間と変わりがないのに対して、岡田有希子の自殺があった4月は自殺者が急増し、年末に至るまで高水準で推移し、この年の少年・少女の自殺者数は前年から245人増加し、802人となった。また、飛び降り自殺した少年・少女の数は、前年よりも125%<151人>もの急激な増加となった。但し、実際に彼女の自殺に対する直接的な後追い自殺と判明したのは数件に過ぎないと言われる。)当時の国会でも取り上げられる程の社会問題にまで発展した。(第104回国会・文教委員会・第10号・昭和61年4月25日、第104回国会・補助金等に関する特別委員会・第7号・昭和61年4月25日)また当時の総理府の「青少年の自殺問題に関する懇話会」が報道機関に対し「人命を尊重した理念で(報道は)行われるべきである」との声明を発表し、日本自殺予防学会では新聞、テレビ、雑誌各社に報道の自制を求める緊急の要望書が出される事態にまでなった。こうした事態を重く見た報道機関の中で自殺報道を自粛する動きが出た。当時テレビ朝日系で放送されていた「ニュースステーション」ではキャスターの久米宏が番組の終わりに、「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と発言、また女優で冒険家の和泉雅子が「あなた自身の“北極点”を持って!」と、更には有希子の事務所先輩で“兄貴分”の森田健作が『おはようナイスデイ』で組まれた自殺防止特集で、早まらないよう呼びかけた事がこれを物語っている。
・有希子の自殺から2日後の1986年4月10日、TBSテレビ系『ザ・ベストテン』(生放送)のエンディングでは、司会の黒柳徹子が落胆したファンや家族達を慰めながらコメント、そして「有希子さんのあの明るい笑顔と美しいお顔が、永久に皆さんの心に残る事を祈ってます。本当に有難う御座いました」と、涙声で締めくくっている。岡田と仲良しだった中森明菜と南野陽子、西村知美など同日出演の歌手仲間も、岡田の突然の訃報に沈痛な表情で俯いていた(中森はしきりに目頭を押さえていた)。この日の『ザ・ベストテン』はいつものエンディングの曲ではなく、『くちびるNetwork』をバックに、過去に出演した時の岡田有希子のコメント映像を放送しながら(岡田と同期デビューだった荻野目洋子が、岡田に対して「ひとつ年上とは思えない位しっかりしていて明るいです」とコメントに、思わず岡田がはにかんだシーンなど放映)、番組のエンドロールを流し、この日の『ザ・ベストテン』の放送は終了。
それから6日後の4月13日に放送されたテレビ東京系『ヤンヤン歌うスタジオ』でも、司会のあのねのねがオープニングで有希子の夭折を惜しむコメントを述べ(通常の形式ではなく調整室で撮影)、デスクに立てられた遺影に献花した。
・有希子が自殺した直後の写真(報知新聞が撮影)が週刊誌『Emma』に遺族の心情を無視して公開され、その週刊誌の表紙にはドラマ『禁じられたマリコ』内での峰岸徹との2ショットが掲載され、中には有希子の人生を描いた写真や当時卒業したがばかりの堀越高等学校の卒業アルバム内の記念写真、そして有希子が描いた絵画などが掲載された。別のコーナーでは無名時代の山口智子・麻木久仁子・鈴木保奈美のグラビアが掲載されていた。

有希子の自殺で中止となった企画

有希子の自殺で幻となった公演・シングル発売・ドラマ出演は以下のとおり。
・1986年4月13日 鶴岡市民文化会館での「Heart Jack」中止。
・1986年5月2日 大阪厚生年金会館での「Heart Jack」中止。
・1986年5月5日 よみうりランドEASTでのコンサート中止。
・「花のイマージュ」 有希子の幻のシングル曲(1986年5月14日発売予定であった。ラジオ番組「夜遊びしナイト!」で発売前紹介が行なわれたのみでお蔵入り状態だったが、約12年10ヵ月後の1999年3月17日に発売された『有希子』のアルバム『メモリアルBOX』内に収録された。)
・1986年5月25日 愛知県豊橋市でのコンサート。サンミュージックは早見優を代わりに手配した。
・1986年5月31日 ファンクラブ解散。
・テレビ朝日系列『ママ母vsママ子! 家出令嬢の課外授業』1986年8月4日放送。渡辺典子主演単発ドラマ。有希子の自殺で典子が代役になった作品である。
・「『素敵な休日』堀ちえみのシングル曲(1986年10月21日発売)は有希子が歌う予定であったが有希子の自殺でちえみが代わりに歌った」とネットの掲示板でまことしやかに噂されているが情報源はなく、真偽は不明。 

岡田有希子に捧げられた曲

・インディーズ時代のスピッツが1989年に『アイドル』と言う曲をアマチュアライブで披露(ボーカルの草野マサムネが「同じ年に生まれたけれど、もう歳を取らない岡田有希子さんにこの曲を捧げます」と当時のライブで語った)。
・竹内まりやのアルバム『Quiet Life』(1992年発売)の歌詞カードでも、『ロンサム・シーズン』の部分に“Dedicade for memory of Yukiko Okada(岡田有希子さんの思い出に捧ぐ) ”の言葉が入れられている。
・パール兄弟のアルバム『パールトロン』(1987年発売)発表当時のインタビューで収録曲の『風にさようなら』についてヴォーカル兼作詞者のサエキけんぞうが複数回にわたり「岡田有希子の自殺について歌っている」と発言している。
・RHYMESTERのアルバム『HEAT ISLAND』(2006年発売)の『LIFE GOES ON feat. Full Of Harmony』の中にある宇多丸のパートでは、全て岡田有希子について死を悼む曲を唄われており、そのパートの殆どが有希子を失った悲しみと怒りを具体的に表現した歌詞となっている。

有希子の墓

・岡田有希子の墓は成満寺(愛知県)にある。
・法名は「侑楽院釋尼佳朋(ゆうぎょういんしゃくにかほう)」であるが、これは有希子・音楽・佳代から一文字ずつ取って付けられ、“みんなから親しまれた”を意味する朋の字を入れたものである。(「院釋尼」は浄土真宗における法名)
・彼女の命日や誕生日に参拝に集まるファンもいるが、マナーをわきまえない“お祭り騒ぎ”や“実家への押しかけ行為”、“公私混同行為”、“汚損行為”、“泥棒”、“不法侵入”などの非常識な迷惑行為も非常に多く大変問題となっている為、寺の入り口には番犬を置いている。尚、遺族はファン(特に男性ファン)を物凄く嫌っており、どんな場合であれファンには絶対に一切取り合わない。

自殺後のその他の出来事

・有希子の自殺後にプロダクションは以後、岡田有希子をテレビや雑誌に登場させることを禁止し、一部のワイドショーを除いて有希子のことをテレビでは伝えなくなった。有希子の自殺から約10年10ヶ月後の1997年2月9日放送のテレビ朝日系列の特別番組、ザ・スーパーサンデー「完全保存版・臨終の瞬間!栄光の最後のメッセージ」の中で岡田有希子を取り上げた。さらに放送の数日前にワイドショーやスポーツ紙でも特集されるほど有希子についてテレビで放送することは珍しいことであった。この放送以降、有希子についていくつかのテレビ番組や雑誌でも特集された。
・自殺した年(1986年)の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた。
・1987年4月8日に新宿区の太宗寺と実家で一周忌法要が行われた。
・1998年に有希子の13回忌にちなみ、新宿文化センターで「岡田有希子展」が4月6日から4月8日までの3日間開催された。
・2000年7月19日に有希子の元マネージャーで、取締役制作部長の溝口伸郎(当時54歳)がプロダクションがある大木戸ビルの5階のトイレ内で首吊り自殺をした。翌日のスポーツ紙・新聞の報道・テレビ欄では「酒井法子のマネージャーが自殺」と報じられた。仕事も家庭も順調だったこともあり、数年前から患っていた糖尿病を苦にしたのではないかと見られた。(溝口伸郎はかつてグループサンウズのバンド『ザ・クーガーズ』のボーカルであった。)
・2002年
5月15日 ファンの人気投票で選ばれた17曲を収録したアルバム『岡田有希子 All Songs Request』がリリースされる。
12月4日 ファンの間で人気の高い『Believe In You』のストリングバージョンが発売される。シングルになったものとは異なる有希子のボーカルに合わせた服部隆之のストリング・アレンジで録音された。
12月18日 CD6枚とDVD1枚がセットになったBOXアルバム『贈りものIII [Limited Edition]』がリリースされ、3万枚を売り上げる。
・2008年
10月11日 交際が噂されていた俳優の峰岸徹が死去。峰岸氏が亡くなった際にスポーツ紙で生涯について語った文章の一文に「1986年に自殺した岡田有希子と交際が噂となった」と述べられていた。

評価

・世間の有希子に対する一般的な第一印象は、「飛び降り自殺したアイドル」というものである。その為、世間ではあまり良い印象を与えない側面もある。
・有希子の自殺直後、ファンによる後追い自殺が相次ぎ、社会問題にまで発展した。その為、事務所側は世間への悪影響を考慮し、有希子関連の取材には協力しないことを決定した。マスコミは岡田有希子の存在自体をほとんど取り上げなくなり、有希子の存在はコアなファンを除き人々の記憶から遠ざかっていった。その為1970年代半ば以前生まれの世代にはそれなりの知名度があるが、1970年代末以降生まれの世代の間での知名度は低い。
・有希子をリアルタイムで観ていた人々(ファンもファン以外も含めて)は「全盛期にたどり着く前に死んでしまい、完成型ではない」と評する人と「生きていても限界で下り坂だろう」と批判する人とがいる。
・有希子の活躍をリアルタイムで観ていない「没後ファン」からは、芸能界・アイドル界における有希子のポジションをよく分かっていないため、なにかと過大評価・神格化される傾向がある。
・評論家の大塚英志は有希子の自殺について「アイドルとは(シミュラークルが)生身の実体を持った不幸な存在である」と述べている。


岡田有希子のファンが起こした出来事

岡田有希子の死後、彼女の故郷である愛知県内にファンが「岡田有希子記念館」を建立しようと行動したが、世間一般では有希子が「自殺したアイドル」という認識で定着してしまっている為、地元の住民達に大反対され、以後計画は全く無い。

・1986年
4月24日、神戸で16歳の少女が「岡田有希子さんのようになりたい」と小学4年生の妹に告げ、自宅マンションから飛び降り自殺。(『朝日新聞』1986年4月15日付・夕刊)
4月24日、千葉県で中学1年生の少女が飛び降り自殺。ファンであった有希子の自殺にショックを受け、自殺を報じたワイドショーのビデオを繰り返し見ていたという。(『読売新聞』、『毎日新聞』いずれも4月24日付の夕刊)
5月6日、山口県から来た21歳の男性ファンY氏が隣のビルから有希子が投身自殺を図った大木戸ビルの屋上に飛び移り、同じ場所で投身自殺を図った。
・2003年
12月の上旬頃、四谷四丁目交差点の大木戸ビル前の歩道の花壇に有希子のファンが有希子の慰霊碑を東京都の無許可で建てた。
12月19日に東京都・新宿区・国土交通省・警視庁によって慰霊碑が撤去された。
慰霊碑が撤去された代わりに「慰霊碑を無許可で建てていた・・・」と言う知らせの看板2003年の12月下旬頃から2004年の3月頃までの間に設置された。現在は記念館計画と共に計画は全く無い。
・2008年
3月11日の15時10分頃、42歳の男性が秋田県能代市の携帯電話販売店で、お試し用の携帯電話を使い、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に「○○(女優の名前)が謝罪会見を開かなければ、東京都新宿区の小学校に通う児童を無差別に殺害する」という内容のことを書き込み、小学校に通う児童に集団下校を余儀なくさせた。その年の6月12日に東京地方裁判所でその男の初公判が行われた。


人物像

性格

・芸能界入りを母親に反対された時にはハンストを決行し、同時に難関高校合格という条件をもクリアしたことから意思の強さも垣間見れる。
・同じく「スタ誕」を受けるために、中学生のころ毎日縄跳びを1000回以上、腹筋も50回こなしていたという意志の強さと根性も持ち合わせていた。(参考文献『明星61年4月号』本人のコメント)
・好きな言葉として「私は私」というものがあり、これはデビュー後間も無くポスト松田聖子と見なされたことに対しての反発もあったと思われる。
・今で言うドリーム小説に近い創作小説や詩、そしてマンガやイラストを中学生時代からずっと執筆しており、芸術的感性面も注目される。
・雑誌や写真集の仕事でビキニ姿にさせられることもあったが本心では水着姿になるのが大の苦手で、表情や態度にはあまり大きく表さなかったものの「胸が大きい」と言われることなどを嫌っていた。そのため、痩せてバストが減ると喜んでインタビューの時に報告していた。写真のポーズもカメラマンに指示された通りに行ったものであり本人の考案ではない。
「あんなの(痴漢)最低です。私は手に安全ピンを持って防衛してるんですよ。きそうだなと思ったらスッと逃げるし。もう、毎朝タイヘンです。」(『GORO』のインタビュー記事より抜粋)
「おまけに1個コミネの地獄耳が聞きつけたとっておきの情報を教えてやろうか。あの岡田有希子ちゃんが、ある打ち合わせの席でいきなり自分のパンチラ写真を見せられた。そしたらそれをビリビリに破いて、泣きながらマネージャーを呼んだんだってサ。怖いよォ、有希子チャンは。じゃあネッ。」(『投稿写真』より抜粋)
・表向きには「気さくで穏やかな優しい性格のアイドル」を通していたが、実際には意外に短気で気が強い一面もあり、幼い頃よく姉とも堂々と喧嘩をしていた。感情の起伏も激しく、躁鬱的なところが生前にもよく見られたという。
・周囲の視線を気にするタイプでもあり、プライベートの時に街で「あっ、岡田有希子だ!」と特別の視線を送られたり注目されることを彼女は極端に嫌った。(参考文献『平凡61年5月9日号』)



・岡田有希子は生前雑誌でよく23歳(1990年)で結婚引退宣言をしていた。
・デビュー当時から「子供の頃はマンガ家になりたかった。」と公式プロフィールやインタビュー記事にも掲載されており、事実彼女のファンクラブ会報「YUKIKO」には、自身の執筆したマンガ「みるくちゃん」が掲載されていた。デビューシングルから継続して使われているいわゆる「ユッコスマイル」の自画像イラストも自身で手掛けていた点、他にもテレビやイベントでは、初対面の人の顔を見事な腕前でイラストにしたなど、その絵画・美術的センスも生前から高く評価されていた。

愛読書

・美内すずえ『ガラスの仮面』
・渡辺淳一やフランソワーズ・サガンの小説に心惹かれるという。(参考文献『 non-no』「PEOPLE・NOW」)

交流関係

・有希子の交流関係には同時期にデビューしたアイドルで親友である田中久美や荻野目洋子・南野陽子・高部知子などがいた。
・有希子が亡くなるのとすれ違いにデビューした事務所の後輩の酒井法子を「のりっぺ」と言う愛称で妹のように可愛がっていた。(岡田有希子ファンの間では「のりっぺ」という愛称は有希子が付けたように思われがちだが実際は当時事務所内全体からそう呼ばれていた)
・有希子が最も尊敬していた歌手は、河合奈保子(芸映所属)である。奈保子は、有希子が所属していたサンミュージックの松田聖子のライバル的存在と見られていた為、注目に値する。レコードデビュー前から、事あるごとに「奈保子さんは本当に素晴らしい方だと思います。」と崇拝に近い賞賛ぶりだったのは有名であり、近代映画社から発行された『岡田有希子スペシャル』の誌上インタビューでは、「奈保子さんはあんなに有名になっても全然昔と(態度が)変わらないのに、それでいて歌はどんどん上手くなって行って…すごいなって思います。」とコメントしていた。

理想の男性

・頼りになって、ず~っとずっと年上の男性

好きな男性芸能人

・舘ひろし、藤竜也、三田村邦彦、風間杜夫、中村敦夫、山崎努


Believe In You
くちびるNetwork
花のイマージュ
シンデレラ (アルバム)
1984~1986年の日本の音楽
真田太平記 (テレビドラマ)
禁じられたマリコ

音楽ディスコグラフィー

(売上枚数はオリコン調べ)

シングル

・ファースト・デイト(1984年4月21日)
売上10.6万枚(最高位20位)
「グリコ・カフェゼリー」CM曲
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
・リトル プリンセス(1984年7月18日)
売上 9.4万枚(最高位14位)
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:大村雅朗
・-Dreaming Girl- 恋、はじめまして(1984年9月21日)
売上12.9万枚(最高位 7位)
「グリコ・セシルチョコレート」CM曲
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
・二人だけのセレモニー(1985年1月16日)
売上14.5万枚(最高位 4位)
「東芝・レッツチャット」CM曲
作詞:夏目純 作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
・Summer Beach(1985年4月17日)
売上13.6万枚(最高位 5位)
「グリコ・カフェゼリー」CM曲
作詞・作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
・哀しい予感(1985年7月17日)
売上 8.9万枚(最高位 7位)
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆
※吉本ばななの同名小説は無関係(タイトルは本曲の方が早い)。
・Love Fair(1985年10月5日)
売上12.0万枚(最高位 5位)
「グリコ・セシルチョコレート」CM曲
作詞・作曲:かしぶち哲郎 編曲:松任谷正隆
・くちびるNetwork(1986年1月29日)
売上23.1万枚(最高位 1位)
「カネボウ・春のキャンペーン」CM曲
作詞:Seiko 作曲:坂本龍一 編曲:かしぶち哲郎
・花のイマージュ(1986年5月14日、発売中止)
作詞・作曲・編曲:かしぶち哲郎
・Believe In You(2002 Strings Version)(2002年12月4日)
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:服部隆之

アルバム

・シンデレラ(1984年9月5日)
売上 5.8万枚(最高位 7位)
さよなら・夏休み
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:清水信之
リトル プリンセス(シングル曲)
彼はハリケーン
作詞:EPO 作曲・編曲:清水信之
丘の上のハイスクール
作詞:康珍化 作曲・編曲:萩田光雄
潮風のラブ・レター
作詞:康珍化 作曲:白井良朗 編曲:清水信之
風の中のカフェテラス
作詞:三浦徳子 作曲:岡田徹 編曲:清水信之
憧れ
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
Plastic Girl
作詞・作曲:山口美央子編曲: 萩田光雄
ソネット
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:萩田光雄
ファースト・デイト(シングル曲)
・贈り物(1984年11月28日、ベストアルバム):レコード・カセット発売のみ。単独でのCD発売はされていない。
売上 8.4万枚(最高位 6位)
ファースト・デイト(シングル曲)
そよ風はペパーミント
作詞:田口俊 作曲・編曲:大村雅朗
リトル プリンセス(シングル曲)
―Dreaming Girl― 恋、はじめまして(シングル曲)
気まぐれTeenage Love
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
恋のダブルス
作詞:康珍化 作曲・編曲:萩田光雄
Believe In You※東芝「パソピアIQ」CM曲、ベストアルバム専用曲
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:萩田光雄
・FAIRY(1985年3月21日)
売上 9.9万枚(最高位 2位)
風の魔法で
作詞:夏目純 作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
Walking In The Moonlight
作詞:三浦徳子 作曲:堀川まゆみ 編曲:松任谷正隆
目をさまして、Darling
作詞:康珍化 作曲:馬飼野康二 編曲:松任谷正隆
二人だけのセレモニー(Album Version)
作詞:夏目純 作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
森のフェアリー
作詞・作曲:かしぶち哲郎 編曲:松任谷正隆
おしゃれな雨音
作詞:吉沢久美子 作曲・編曲:松任谷正隆
ストライプのジェラシー
作詞:三浦徳子 作曲:馬飼野康二 編曲:松任谷正隆
Lady Joker
作詞:吉沢久美子 作曲:堀川まゆみ 編曲:松任谷正隆
あなたを忘れる魔法があれば
作詞:康珍化 作曲・編曲:松任谷正隆
ポップ・アップ・リセエンヌ
作詞・作曲:かしぶち哲郎 編曲:松任谷正隆
・十月の人魚(1985年9月18日)
売上 6.6万枚(最高位 4位)
Sweet Planet
作詞:三浦徳子 作曲:小室哲哉 編曲:松任谷正隆
みずうみ
作詞:三浦徳子 作曲:財津和夫 編曲:松任谷正隆
花鳥図
作詞:高橋修 作曲:財津和夫 編曲:松任谷正隆
哀しい予感(シングル曲)
ロンサム・シーズン
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆
流星の高原
作詞:高橋修 作曲・編曲:松任谷正隆
Bien
作詞・作曲:かしぶち哲郎 編曲:松任谷正隆
ペナルティ
作詞:竹内まりや 作曲:杉真理 編曲:松任谷正隆
十月の人魚
作詞:高橋修 作曲・編曲:松任谷正隆
水色プリンセス ―水の精―
作詞:三浦徳子 作曲:小室哲哉 編曲:松任谷正隆
・贈りものII(1985年12月5日、ベストアルバム)
売上 4.0万枚(最高位17位)
二人だけのセレモニー(シングル曲)
Summer Beach(シングル曲)
哀しい予感(シングル曲)
Love Fair(シングル曲)
PRIVATE RED
作詞:売野雅勇 作曲:山川恵津子 編曲:大村雅朗
星と夜と恋人たち
作詞:吉沢久美子 作曲:MAYUMI 編曲:松任谷正隆
恋人たちのカレンダー
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆
二人のブルー・トレイン
作詞:竹内まりや 作曲:杉真理 編曲:松任谷正隆
子羊NOTE ※ベストアルバム専用曲
作詞:康珍化 作曲:山川恵津子 編曲:大村雅朗
・ヴィーナス誕生(1986年3月21日)
売上 6.3万枚(最高位 5位)
WONDER TRIP LOVER
作詞:EPO 作曲:坂本龍一 編曲:かしぶち哲郎
愛…illusion
作詞:松田聖子 作曲:飛澤宏元 編曲:かしぶち哲郎
ヴィーナス誕生
作詞:前川由佳 作曲:木下伸司 編曲:かしぶち哲郎
Spring Accident
作詞:EPO 作曲:大貫妙子 編曲:かしぶち哲郎
銀河のバカンス
作詞:高橋修 作曲:三井一正 編曲:かしぶち哲郎
ジュピター
作詞・作曲・編曲:かしぶち哲郎
くちびるNetwork(シングル曲)
眠れぬ夜のAQUARIUS
作詞:麻生圭子 作曲:坂本龍一 編曲:かしぶち哲郎
水晶の家
作詞:高橋修 作曲・編曲:かしぶち哲郎
愛のコロニー
作詞・作曲・編曲:かしぶち哲郎

アルバム(BOX版・メモリアル版)

・メモリアルBOX(1999年3月17日)
贈りもの
贈りものII
ヴィーナス誕生
花のイマージュ
作詞・作曲・編曲:かしぶち哲郎
秘密のシンフォニー
作詞:麻生圭子 作曲:大貫妙子 編曲:かしぶち哲郎
・ALL SONGS REQUEST(2002年5月15日、ベストアルバム)
さよなら・夏休み
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:清水信之
リトル プリンセス(シングル曲)
憧れ
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
ソネット
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:萩田光雄
ファースト・デイト(シングル曲)
―Dreaming Girl― 恋、はじめまして(シングル曲)
二人だけのセレモニー(シングル曲)
あなたを忘れる魔法があれば
作詞:康珍化 作曲・編曲:松任谷正隆
Sweet Planet
作詞:三浦徳子 作曲:小室哲哉 編曲:松任谷正隆
ロンサム・シーズン
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆
水色プリンセス ―水の精―
作詞:三浦徳子 作曲:小室哲哉 編曲:松任谷正隆
Summer Beach(シングル曲)
Love Fair(シングル曲)
くちびるNetwork(シングル曲)
花のイマージュ
作詞・作曲・編曲:かしぶち哲郎
Believe In You
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:萩田光雄
・贈りものIII~岡田有希子CD/DVD-BOX(2002年12月18日)
シンデレラ + α
FAIRY + α
十月の人魚 + α
ヴィーナス誕生 + α
「OTAKARA マキシシングル」Believe In You(2003 Strings Version)
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:服部隆之
Fly Up! Angel
作詞:竜間知子 作曲・編曲:馬飼野康二
二人だけのセレモニー(Single Version)
Believe In You(2003 Present-Mix Version)
作詞:吉沢久美子 作曲:梅垣達志 編曲:Thank-Mix
「All Songs Request オリジナルカラオケ」(+ 哀しい予感)
「YUKKO PV & CM COLLECTION」

楽曲についてファンのコメント


カバーしたアーティスト

・竹内まりや:「ロンサム・シーズン」
・中嶋美智代:「ロンサム・シーズン」
・酒井法子:「恋人たちのカレンダー」
・中谷美紀:「WONDER TRIP LOVER」(中谷美紀版では曲名が「クロニック・ラヴ」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。)
・坂本龍一:「WONDER TRIP LOVER」(坂本龍一版では曲名が「Ballet mecanique」となっており、曲は同じだが歌詞はまったく別である。)
・尾崎亜美:「Summer Beach」


出演

テレビドラマ

・中学生日記 (NHK名古屋)
歌手としてデビューする前、エキストラで出演していた。
・マッチの青春スクランブル PART2 (1984年 テレビ東京)
歌手デビュー後初出演となる、『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ。 近藤真彦やジャニーズJr.の石丸志門らと共演した。
・真田太平記 (1985年 NHK 「NHK新大型時代劇」)
・かぐや姫・とんで初体験!? (1985年 フジテレビ)
『月曜ドラマランド』にて放送された単発ドラマ。おニャン子クラブのメンバーである福永恵規との共演。
・禁じられたマリコ (1985年11月5日-1986年1月28日(全12話) TBS)
峰岸徹と共演、これがきっかけで交際との噂があった。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う超能力を持つ少女の役を好演。尚、再放送に関しては、1991年の夏にTBS系列ではないテレビ愛知にて、昼間に行われたのが最後の放送となっている。

ラジオ

・サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(毎日放送)
・奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ(1984年4月~1985年10月7日、東海ラジオ他)
・ちょっとおあずけ(1984年10月8日~1985年10月7日、ニッポン放送)
・夜遊びしナイト!(中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日~1986年4月6日、ニッポン放送系)

CM

・江崎グリコ セシルチョコレート
・グリコ乳業 カフェゼリー
・東芝 パソピアIQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、つくばEXPO'85東芝館(名誉館長)
・初代ヤングイメージキャラクター。(2代目は西村知美)
・牛乳石鹸共進社 ラブジュ シャンプー&リンス
・旺文社 中一時代、ハイトップ
・エスエス製薬 エスタック顆粒、ブロン液W
・尾崎商事 カンコー学生服、カンコー女子通学服
・月星化成 ベンチャートランザム、ベンチャーΣ
・郵政省 電子郵便


ビデオ

・Yukiko in SWISS(1985年8月21日)
・Memories of Switzerland(1985年12月5日)


DVD

・Memories in Swiss(2002年12月18日―上記テープ2巻をまとめて1枚のDVDに収めた物)


ポスター

・神田警察署(年末年始防犯広報)
・防衛庁(自衛官募集)
・消防庁(火災予防運動)


書籍

有希子をテーマにした書籍

・『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』(学研 1984年)
・『瞳はヒミツ色』(ワニブックス 1985年)
・『奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック』(旺文社 1985年)
・『ヴィーナス誕生』(扶桑社 1986年)
・『岡田有希子はなぜ死んだか』(上之郷利昭  新森書房 1986年)
・『愛をください』(遺稿集 朝日出版社 1987年)
・『サクリファイス』(白倉由美 弓立社 1989年)
・『イイナ ~Feel for Love~』(原作:S-nery Angel 作画:成瀬かおり 角川書店 1998年)
・『ヴィーナス誕生』(2002年・復刻版 扶桑社)

有希子について掲載されている書籍(又は参考文献)

・清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論(竹内義和 1987年 プラザ)
・死よりも遠くへ(吉岡忍 1992年 新潮文庫)
・レコード・コレクターズ増刊 遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム(1998年 ミュージック・マガジン社)
・夭折の系譜 (2001年 アートブックの森)
・100万人が選ぶアイドルポップス(2002年 宝島社)
・歌謡曲という快楽 (宝泉薫 ファッシネイション 彩流社 2002年)
・音楽誌が書かないJポップの批評(尾崎豊) (宝島社 2003年)
・「おたく」の精神史―1980年代論 (大塚英志 講談社現代新書 2004年)
・蘇る!夭折のスター達 (セントラルSOG 2005年)
・昭和・平成の「怪死」事件史 (宝島社 2006年)
・劇画 疑惑の最期!非業のカリスマ列伝(竹書房 2006年)
・劇画 死の真相 (ミリオン出版 2007年)

写真集

・岡田有希子special(1984年 近代映画社)
・岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…(1985年 近代映画社)
・もっと逢いたい…有希子(1985年 講談社)
・SWEET LOVE DREAM(写真 武藤義 1985年 音楽専科社)
・さよなら…有希子(1986年 シーズ)
・SWEET LOVE DREAM(2002年・復刻版 音楽専科社)


その他の商品情報

・デビュー前の1981年(中学2年生の時)に「ニコン・フレッシュギャルコンテスト」で優勝。写真家・立木義浩が撮影した雑誌広告がある(選出されたフレッシュギャル達のポートレートを月刊「太陽」で連載)。
・書籍『ヴィ-ナス誕生』:有希子が自殺する4日前の1986年4月4日に発売された。有希子が自殺した次の日の4月9日に発売中止・絶版となってしまい、都合5日間しか発売されず(各書店で回収)「幻の写真集」と言われ、その後は全国の各古本屋(特に神田神保町の本屋街)では2万~3万円台で売られているのみだったが、約16年8ヵ月後の2002年12月4日に復刻版で再販された。その後古本屋で売られていた旧写真集の値段が一気に下がり、再発売された復刻版・写真集の値段に降下した(3500円ぐらい)。復刻版には2003年のカレンダーが新たに付いていた。
・写真集『SWEET LOVE DREAM』:1985年に旧版が発売。復刻版が2002年12月4日に写真集『ヴィーナス誕生』の復刻版と同年月日された。旧版と復刻版の違いは旧版はカバーなしで表紙の右上に「アイドルNo.1」と言うロゴが小さく書いており、復刻版はカバー付きで表紙に前文のロゴが書いていない。
・ポスターは全国のアイドルショップ(特に神田神保町の荒魂書店)では1万円~6万円の値段で売られている。
(1986年の自衛隊の紹介パンフレットの表紙に岡田有希子の写真が載っていたが、そのままでは配布ができない上、予算の関係のためか再度刷り直しもできなったため、別の写真のシールを上に貼って配っていた)


その他の関連情報

芸能関係

・1985年にリリースした「Sweet Planet」・「水色プリンセス ―水の精―」は作曲した小室哲哉自身にとって初の提供曲である。
・女優・歌手の沢尻エリカの生年月日が有希子の没年月日と同じ1986年4月8日であり、一部で話題になっている。

文化人関係

・2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は同じ出身高校(名古屋市立向陽高等学校)である。


受賞歴

・1984年:第3回メガロポリス歌謡祭最優秀新人ダイヤモンド賞
・1984年:第17回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞
・1984年:第17回新宿音楽祭金賞
・1984年:第26回日本レコード大賞最優秀新人賞
・1984年:第11回FNS歌謡祭最優秀新人賞
・1984年:第17回日本テレビ音楽祭新人賞
・1984年:第10回あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭最優秀新・人賞
・1984年:第15回日本歌謡大賞新人賞
・1985年:ゴールデン・アロー賞
・1985年:第11回あなたが選ぶ全日本音楽歌謡祭金賞
・1985年:第12回FNS歌謡祭優秀歌唱音楽賞
・1985年:第18回日本テレビ音楽祭金の鳩賞


外部リンク

【永遠の】 岡田有希子板 【リトルプリンセス】
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